このたびの札幌山岳連盟による、ネパールヒマラヤのマナスル北峰とマナスル峰の登山には、道新スポーツさんの多大な協力の下に進められております。もちろん、現地での登山状況も逐一詳細な記事として、道新スポーツさんに掲載されております。
当ホームページで紹介できない部分は、道新スポーツをご覧いただければより詳しく解説されていますので、ご購読いただければと思います。
■2000年1月31日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=遥かなるマナスル<7 最終回>札幌山岳連盟 厳冬期の挑戦 振り返る
全力を出せなかった厳冬の登頂 (2000年1月28日付け記事)
■2000年1月31日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=遥かなるマナスル<6>札幌山岳連盟 厳冬期の挑戦 振り返る
頼もしいシェルパたち (2000年1月27日付け記事)
■2000年1月31日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=遥かなるマナスル<5>札幌山岳連盟 厳冬期の挑戦 振り返る
工事用ユルハシ大活躍 (2000年1月26日付け記事)
■2000年1月24日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=遥かなるマナスル<4>札幌山岳連盟 厳冬期の挑戦 振り返る
毎日の主食はダルバート (2000年1月21日付け記事)
■2000年1月24日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=遥かなるマナスル<3>札幌山岳連盟 厳冬期の挑戦 振り返る
デジタル革命 登山も大変化 (2000年1月20日付け記事)
■2000年1月24日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=遥かなるマナスル<2>札幌山岳連盟 厳冬期の挑戦 振り返る
村民を4倍の料金で雇用 (2000年1月19日付け記事)
■2000年1月24日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=遥かなるマナスル<1>札幌山岳連盟 厳冬期の挑戦 振り返る
白く輝く雄姿に 感慨新た (2000年1月18日付け記事)
■1999年12月30日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスル登山隊が元気に帰国 (1999年12月28日付け記事)
■1999年12月19日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスル登頂断念 (1999年12月19日付け記事)
■1999年12月18日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む あすアタック (1999年12月18日付け記事)
■1999年12月14日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
●井上浩二記者のコメント
昨日の電話では、今週末が最初の登頂のチャンスになりそうです。
BCに井上剛隊員が残ってくれたので、イリジウムが通じなくても無線で上の状況を知ることができるようになりました。
メディアにとっては、大変ありがたいことです。
今週中は毎日BCへ電話(インマルサット)して、進行状況を掲載する予定です。
タイトル=マナスルに挑む 週末に本峰アタック (1999年12月14日付け記事)
■1999年12月10日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む 最終アタック 天候待ち(1999年12月10日付け記事)
■1999年11月30日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む 快適BC本部テント(1999年11月30日付け記事)
■1999年11月23日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む 本峰登頂は速攻勝負だ(1999年11月23日付け記事)
■1999年11月20日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む さあ本峰挑戦(1999年11月20日付け記事)
■1999年11月15日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む 井嶋隊員が一時帰国(1999年11月15日付け記事)
■1999年10月21日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む 登頂隊に応援FAX(1999年10月21日付け記事)
■1999年10月20日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む 江崎隊長、安部さんも北峰登頂成功
■1999年10月19日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
●井上浩二記者のコメント
18日、北峰に登頂したとの知らせが入り、電話と現地と話をすることができました。
その紙面です。
第1次登頂は、工藤寛、井嶋健一、井上剛、高橋留智亜の4人。現地時間9時15分(日本時間午後0時30分)でした。
江崎隊長、阿波徹、大坂卓也の3人はCー2で待機し、無線で工藤副隊長から登頂の知らせを受け取り、それをイリジウムで同時中継して第1報を送ってくれました。
午後2時45分(日本時間)ころ、Cー2からCー3に向かった江崎さんたちと、山頂から降りてきた工藤さんたちが6400メートル付近で合流しました。文中のインタビューはその時のものです。
電話を受けたのは札幌のFM局、AIRーGのスタジオです。
ここに北海道新聞グループのテレビ局、TVh、uhbと僕が入り、質問事項をまとめて、アナウンサーの高山さんが会話したものを記事にまとめたものです。
今朝、高山さんが現地と電話連絡(毎週月曜日が定時連絡日)をとったところ、大坂さんの体調がおもわしくなく、第2次登頂は江崎さんと阿波さんの2人になりそうとのことです。
また、工藤さんたちがデジカメの操作がうまくできず、初めの登頂シーンの画像は「無い」そうです。
残念ですが、江崎さんたちのデジカメに期待するしかなさそうです。
おそらくBCに降りてくるのは今日の夜か、明日の朝になると思われるので、画像はその後でしょう。
画像はともかく、事故無く戻ってきて欲しいものです。
タイトル=マナスルに挑む 北峰登頂(1999年10月19日付け記事)
■1999年10月14日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む C−2を設営 早ければ16日に登頂(1999年10月14日付け記事)
■1999年10月13日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む 20日前後にマナスル北峰登頂(1999年10月13日付け記事)
■1999年10月9日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む 降雪停滞中 国際交流で一息(1999年10月9日付け記事)
■1999年10月5日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む 6千メートル登はんへ(1999年10月4日付け記事)
■1999年10月2日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスル5470メートルにC−1設営(1999年10月2日付け記事)
■1999年10月1日 From 道新スポーツ提供(井上浩二記者)
タイトル=マナスルに挑む ベースキャンプ設営(1999年9月28日付け記事)
■1999年9月29日 From 道新スポーツ(井上浩二記者)
1999年9月29日までのマナスル登山隊の記事を、道新スポーツの井上浩二記者が東京事務所へ送ってくださいましたので、許可の上、掲載させていただきます。
■1999年9月8日 道新スポーツ掲載記事
タイトル:厳冬期 マナスルに挑む カトマンズで準備着々
■1999年9月6日 道新スポーツ掲載記事
タイトル:マナスル登山隊 本隊出発
■1999年9月2日 道新スポーツ掲載記事
タイトル:マナスル登山札幌山岳連盟 先発隊が出発
■1999年8月28日 道新スポーツ掲載記事
タイトル:札幌山岳連盟隊壮行会 マナスル制覇頼んだぞ
■1999年8月27日 道新スポーツ掲載記事
タイトル:マナスルに挑む(下) サンデークライマー最高峰へ
■1999年8月26日 道新スポーツ掲載記事
タイトル:マナスルに挑む(中) ハイテク機器で安全登山
■1999年8月25日 道新スポーツ掲載記事
タイトル:マナスルに挑む(上) 挑戦魂だ 心揺さぶる“高いハードル”
■1999年4月12日 道新スポーツ掲載記事
タイトル:マナスル登山隊 紅一点 高橋さん 夢へ一歩一歩
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